文京区千石4丁目でまちづくり活動や「地区計画」づくりに取り組んでいる区民が、文京区の職員から「差別主義者である」とのレッテルを貼られるとされる問題が明らかになりました。文京区の職員が特定の区民に対して人格攻撃をしたのは事実なのか、事実とすればなぜそのような発言をしたのか、真相の究明と事実の解明が望まれます。このコラムではこうした出来事を奇貨として、いかに文京区において、「あらゆる差別なきまちづくり」を進めていくべきかを考えます。
文京区長、そして文京区の職員の方々には、なぜ区民が「請願」を出すのか、それも単なる「要望」や「陳情」ではなく、「請願」なのか--を考えて頂きたいと思います。
前回、日本国憲法第十六条と請願法を紹介しましたが、日本国憲法第十六条には「何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」とあり、請願法第6条にも「何人も、請願をしたためにいかなる差別待遇を受けない」と明記してあるのです。
文京区に「要望」や「陳情」をしたために、「差別」あるいは「差別待遇」を受けるおそれがありますが、「請願」であればそのリスクを低減でき、仮に「差別」あるいは「差別待遇」を受けたなら、憲法違反や請願法違反で訴えることも可能になるのです。
それに、日本国憲法第十六条と請願法を知っていれば(あくまで知っていればという前提ですが…)、差別させない「抑止力」としても働くと期待できます。
文京区民がこういう背景も含めて敢えて「請願」という手法を選び、文京区長宛てに「請願」を提出したにもかかわらず、それを区民に連絡することも同意を得ることもせず、勝手に「区民の声」として処理することがどれだけの”暴挙”であったかが分かるかと思います。
(2019年8月23日)
ここで確認の意味で、日本国憲法第十六条並びに請願法を掲載しておきたいと思います。
【日本国憲法第十六条】
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
【請願法】
第1条 請願については、別に法律の定める場合を除いては、この法律の定めるところによる。
第2条 請願は、請願者の氏名(法人の場合はその名称)及び住所(住所のない場合は居所)を記載し、文書でこれをしなければならない。
第3条 請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない。
第2項 請願の事項を所管する官公署が明らかでないときは、請願書は、これを内閣に提出することができる。
第4条 請願が誤つて前条に規定する官公署以外の官公署に提出されたときは、その官公署は、請願者に正当な官公署を指示し、又は正当な官公署にその請願書を送付しなければならない。
第5条 この法律に適合する請願は、官公署において、これを受理し誠実に処理しなければならない。
第6条 何人も、請願をしたためにいかなる差別待遇を受けない。
附則 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。
(2019年8月22日)
いわゆる「お役所仕事」と言ってしまえば、それまでですが、「上から目線」の「一方的」とも思えるやり方である点に大いなる疑問を抱かざるを得ません。
それは、仮に文京区長宛て「請願」を「区民の声」として処理するにしても、請願者に対して「文京区において区長宛て『請願』を受け付け、処理する手続きを決めていないので、扱いについて時間をください」とか、「とりあえず今回は『区民の声』として受け付けて、回答させて頂いても構いませんか」と請願者に問い合わせるのが社会常識ではないでしょうか。
それを、「請願者」に何一つ問い合わせることも同意を得ることも納得してもらうこともせず、一方的に「区民の声」として処理し、その「回答」を送り付けるというのは、どう考えても「区民目線」というか「区民に寄り添う」姿勢がないからとしか思えません。
文京区長がどれだけ「所信表明」や「施政方針」等で素晴らしいことを言っても、こうしたちょっとした手続きのやり方で「本心」というか「本音」が漏れてしまうのではないでしょうか。
少なくとも、区長宛てに出した「請願」を勝手に「区民の声」として処理するような区に、「だれもが住み続けたい」とは思わないでしょう。
(2019年8月21日)
もうひとつ、穿った見方かもしれませんが、考えられるケースがあります。
それは、企画政策部長が「文京区区民の声取扱要綱」を熟知し、「請願」を「区民の声」として受け付け、処置できないことは認識していたが、区長命令等(部長の上長)により、そうせざるを得なかったというケースです。
こうしたケースは組織風土において「上に逆らえない」雰囲気があると往々にして起きやすいことから、もしそうであったなら、文京区は風通しの悪い組織風土であることの証左のひとつとなるでしょう。
もし、文京区役所が区長から一番下の一般職員まで、自由闊達に意見を言え合える組織風土であったなら、誰かが異を唱えただろうと思えるからです。
それが、具体的にどういう経路を辿り、何人の手を経たかは分かりませんが、結果として文京区長宛ての「請願」が広報課長名で「区民の声」として処理されたわけです。
誰一人、「請願」が「区民の声」として処理されることに疑問を抱かなかったのでしょうか。
今回の問題の検証に当たっては、どういう経路で誰の手を経てこうなったのかを明らかにしてほしいと思います。
(2019年8月20日)
前回の続きで言えば、企画政策部長が「文京区区民の声取扱要綱」を熟知していなかったということであると、かなり問題でしょう。
他の部課の「要綱」なら仕方ないと言えなくもありませんが、自分が所管する部課で、しかも自分に直接関係する「要綱」について熟知していなかったのでれば、自治体職員として”失格”の烙印を押されても反論でけいないのではないでしょうか。
一方、熟知していたにもかかわらず、敢えて「区民の声」として処理したということであれば、「要綱」違反の疑いが出てきます。
その場合には、当然のことながら企画政策部長から釈明なり弁明を聞かねばなりません。
もしかしたら、「要綱」の解釈上、「請願」を「区民の声」として受け付け、処理する根拠らしき事情があるかもしれないからです。
普通に考えれば、特別区の部長であり、しかも文京区政上の重要なポストである企画政策部長であるわけですから、他の部課に示しの付かないことをするはずがありません。
「要綱」違反を自ら進んでする自治体職員はいないでしょうから、企画政策部長においては何かしらの根拠を以て、敢えて「区民の声」として受け付け、処理したと考えられます。
いずれにしても、今後どうするかという問題と併せ、なぜこういうことになったのかの詳細な検証も欠かせないと言えます。
(2019年8月19日)
改めて「文京区区民の声取扱要綱」を紐解くと、「第3条 区民の声は、企画政策部長が広報課において受け付ける」と書いてあります。
この通りであれば、私の「請願」がどういう経路を辿って広報課に届いたかは措くとして、「区民の声」として処理された以上、「企画政策部長が広報課において 受け付け」たことになります。
私は「請願」を、文京区議会に提出するのと全く同じ書式で書きましたから、たとえ具体的な内容の部分だけを広報課に回したとしても、そのページには「請願理由」と「請願項目」の記載がありました。
ですから、単なる「要望」や「陳情」ではなく「請願」であることは誰が受け取っても認識できたはずです。
そうすると、広報課において受け付けた企画政策部長に問題があったのではないかという疑いが浮上します。
つまり、もし企画政策部長が「文京区区民の声取扱要綱」を熟知していたなら、「請願」は「『区民の声』の定義に当て嵌まらない」ことを知っていなければならず、そうであれば文京区長(あるいは区長室)に「これは『請願』であり、『請願』は『文京区区民の声取扱要綱』の定義における『区民の声』には当たりませんから、『区民の声』として受け付けられません」と言って戻さねばなりません。
しかし、結果としてそうしなかったわけですから、企画政策部長は「文京区区民の声取扱要綱」を熟知していなかったか、熟知していたにもかかわらず、「要綱」に抵触することを承知で「区民の声」として処理した疑いが出てくるというわけです。
(2019年8月9日)
「請願」も「陳情」も、「区民の声」であることに変わりはないでしょう--。
もしかしたらこういう理屈を捏ねる文京区職員がいるかもしれません。(※広報課長はその際たる例かもしれません)
確かに中身や内容で分類するなら、「区民の声」かもしれませんが、形式・様式は全く違うことを忘れてはなりません。
今回、私が「請願」として文京区長に送ったのは、日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいた「請願」であって、根拠法のない「区民の声」とは違うのです。
ですから、文京区長にしても、区職員にしても、その点を認識すべきですし、法令順守の観点から言っても尊重しなければならないはずなのです。
文京区のHPの「区民の声」のフォームを使って「請願」と称するものを送ったわけではないのです。
単純な区政に関する意見や要望を伝えるために送ったのではなく、事の重大性と重要性に鑑みて、「請願」や「陳情」「要望」「区民の声」など様々な方法があるなかで、色々考えた末に、敢えて「請願」という手段を選んだわけです。
そうした区民目線というか、区民に寄り添う気持ちがあれば、区民の同意を得ずして勝手に「請願」を「区民の声」として処理することなどできないはずです。
今回の件は図らずも、文京区において区民目線に欠け、区民に寄り添う気持ちがないことをさらけ出す結果になったといえるかと思います。
(2019年8月8日)
◆文京区議会に対する「請願」については、文京区議会のHPにおいて、「請願の提出方法」として掲載されています。
また、「陳情」の提出方法についても記載があります。
しかし、文京区(あるいは文京区長)に対する「請願」については文京区のHPに記載がありません。
従って、区民としては日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいて書き、提出するしかないわけです。
規定がないから、「区民の声」として受理し、処理したというのは理由として成り立たないでしょう。
なぜなら、前回も書きましたが、文京区には「文京区民の声取扱要綱」があり、「区民の声」として受け付けられるものが定めてあり、そこに文京区(あるいは文京区長)宛ての「請願」が含まれていないからです。
そもそも、文京区において文京区(あるいは文京区長)宛ての「請願」の取り扱いを定めていないのは、いわば「行政の怠慢」であって、区民が悪いわけではありません。
日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいた「請願」を勝手に「区民の声」とする理由らしき事情として、文京区において文京区(あるいは文京区長)宛ての「請願」の取り扱いを定めていないことを挙げるのは「責任逃れ」以外のなにものでもないでしょう。
文京区においては、区に対する「請願」の取り扱いについてしっかりした規定を整える必要があるといえます。
(2019年8月7日)
私としては、日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいて「請願」を書き、文京区長宛に送ったつもりでも、もしかしたら「請願」要件を満たさなかった可能性がゼロとはいえません。
そうした場合にあっては、文京区長が「請願」として受理せず、内容から判断して「区民の声」として受理することもあり得るといえるでしょう。
ただし、その場合、2つの疑問が出てきます。
ひとつは、「請願」要件を満たさないからと言って、文京区(あるいは文京区長)の判断で勝手に「区民の声」として受理し、処理して構わないのかという問題。
もうひとつは、仮に「請願」要件を満たさないのであれば、その旨の区民に伝え、「請願」として出し直してもらうべきではないかという問題です。
いずれにしても、区民に連絡を取るのが筋であるといえますが、連絡ないままにいきなり広報課長名で「区民の声」としての「回答」が送られてきたわけですから、「請願」要件は満たしていたけれども、「請願」として受理せず、区民の同意を得ずに勝手に「区民の声」として処理したと推察できます。
経緯についての徹底的な真相解明の中には、どうして区民の同意を得ずに勝手に「区民の声」として処理したのかという点も含まれることは言うまでもありません。
(2019年8月6日)
文京区には、「文京区民の声取扱要綱」があります。
その第2条として「区民の声」の定義が定められています。
(定義)
第2条 この要綱において「区民の声」とは、次に掲げる方法で区民等から区長に寄せられた区政に関する意見、要望等(以下「意見等」という。)をいう。
(1) 広聴はがき 企画政策部広報課(以下「広報課」という。)で作成した特製はがき
(2)電子メール 区ホームペー ジ「区民の声」より入力された意見等
(3)一般文書 一般のはがき、手紙等
(4)来庁及び電話 広報課等において口頭で受け付けた意見等
(5)陳情 複数の区民又は各種団体の代表者から寄せられた文書
ここに「請願」という文言はありません。
「請願」は日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいたものですから、「陳情」でないことは明らかです。
「請願」は書面にして封筒に入れて送りましたが、だからと言って「一般文書」とするのは無理があるでしょう。
同要綱の第12条に「補足」として、「この要綱に定めるもののほか、区民の声の取扱いに関し必要な事項は、企画政策部長が定める」と書いてありますが、あくまで「取り扱い」に関してであって、「区民の声」の定義についてまで企画政策部長の裁量の範囲内であるとは文理解釈上、読み取れません。
つまり、文京区(あるいは文京区長)のしたことは、「文京区民の声取扱要綱」に違反した行為であるということです。
(2019年8月5日)
もし、私が広報課の職員であり、区長宛ての「請願」が「区民の声」として回ってきたら、「ちょっと待ってください。これは『区民の声』として入ってきたものではなく、『請願』として文京区長に送られてきたものですよね。『請願』は『請願』として受理し、処理するものであって、それを『区民の声』として受理して処理するのはまずいのではないですか?」と言ったことでしょう。
そこまで詳しく言わなかったとしても、「『請願』を『区民の声』として処理して構わないですか?」と確認はしたはずです。
ところが、広報課長名で「令和元年6月11日にいただきました『区民の声』に下記のとおり回答いたします」という文書(2019文企広第275号)が届いたということは、この件にかかわった文京区の職員の誰ひとりとしてそうした認識も疑問を持たなかったということになります。(※もちろん、そういう指摘や疑問を口にしたが、上長により無視されたという可能性もありますが…)
加えて、私なら「本人にそのこと(=『請願』を『区民の声』とすること)を連絡しなくていいですか?」とも聞いたことでしょう。
これも、社会通念上の一般常識として、「請願」と「区民の声」は根本的に違うでしょう。そうであるなら、本人の同意を得るべきではないか…と素直に思うからです。
文京区長宛てに提出された「請願」がどういう経緯で、誰から誰を経て広報課に届き、「区民の声」として処理されることになったのか、徹底的に真相を解明する必要があるでしょう。
(2019年8月2日)
もし、私が区長室総務課の職員であり、誰かが区長宛ての「請願」を広報課に回すように指示したとしたら、私は「どうしてですか?」「本当にそうしていいですか?と聞き返したと思います。
もちろん、広報課において事実関係の調査をするように命じるとともに、「請願」文書のコピーをを広報課に回すということであれば理解できないことはありません。
文京区長において「請願」は「請願」として受理し、処理するのだろうと思うからです。
ですが、区長室の段階で「これは『区民の声』なんだから、『区民の声』として処理すべく広報課に持っていくように…」と言われたなら、「それはおかしいのではないですか?」と言ったでしょう。
法的根拠云々まで考えが至らなくても、社会通念上の一般常識として、「請願」と「区民の声」は根本的に違うでしょう…と素直に思うからです。
区長室総務課内でどういう話があったかどうか、私が知る由もありませんが、事実としては私が文京区長宛てに提出した「請願」が、広報課において「区民の声」として受理され、処理されたのです。
(2019年8月1日)
文京区長宛ての手紙や文書・書類の全てについて、文京区長が目を通すものでないことは社会通念上の一般常識といえるかと思います。
しかし、今回は文京区長宛ての「請願」であり、しかもそれは日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいたものであるわけです。
そうした重大性に鑑みれば、じっくり読むかどうかは別にして、目を通すぐらいはすべきですし、「請願」が日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいたものであることを知っていれば、当然、目を通すでしょう。
文京区長はその上で、「区民の声」として処理するよう命じた(指示した)のでしょうか。
もうひとつ考えられることは、全く区長の目に触れることなく、区長以外の誰かが区長の判断を仰ぐことなく勝手に広報課に持ち込み、広報課においてもやはり勝手に「区民の声」として処理したということです。
私は、「請願」を入れた封筒の表面に、「請願書」在中と書きましたから、この封筒を受け取った誰もが、中に文京区長宛ての「請願」が入っていることは知っていました。
ですから、こうした場合には別の新たな問題が浮上するといえます。。
それは、文京区の職員において、広報課長を含め、誰も日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいた「請願」の重みを理解していなかったのではないかという問題です。
(2019年7月31日)
昨日も書いたように、この「請願」は日本国憲法第十六条並びに請願法に基づくものであり、それらに則って書面にし、文京区長宛てに送付したものでした。
従って、常識的には文京区長が「区民の声」として処理するよう命じたか、指示したと考えられます。(※真実相当性の根拠)
そうすると、次の問題は、なぜ文京区長は区民からの「請願」を「区民の声」として処理するよう命じた(あるいは指示した)のかということになります。
日本国憲法第十六条並びに請願法を知らなかった、あるいは読んだことがなかったということであれば、はっきり言って自治体の首長としての見識に欠けると言われても仕方ないでしょう。
知っていたうえで敢えて「請願」を「区民の声」として処理したということであれば、その合理的根拠(法的根拠を含む)を明らかにする必要があります。
しかし、7月上旬に届いた「請願」に対する回答らしき文書(2019文企広第275号)には、なぜ「請願」を「区民の声」として処理したのかについての説明は一切、ありませんでした。
文書のタイトルが示すように、アプリオリに「区民の声」としており、有無を言わせないようなものでした。
実際に誰が命じた(あるいは指示した)のか、分かりませんが、区民からの「請願」を区民の同意も得ずに勝手に「区民の声」として処理するやり方は、「文の京」自治基本条例で打ち出した「協働・協治」の理念を自ら踏みにじるものと言わざるを得ません。
(2019年7月30日)
日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいた「請願(注1)」は6月上旬に文京区長に提出しましたが、これに対する回答らしき文書(2019文企広第275号)が広報課長名で7月上旬に届きました。
しかし、それは驚くべきものでした。
そこには、「令和元年6月11日にいただきました『区民の声』に下記のとおり回答いたします」と書いてあったのです。
文京区は、日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいた区民からの「請願」を、「請願」を送った区民の同意を求めることもなく、勝手に「区民の声」として処理していたのです。
これは明らかに「請願権」の侵害であり、あってはならないことでしょう。
そして、他の区民からの「請願」は「請願」として受理しておきながら、私が提出した「請願」だけを「区民の声」として処理したのなら、あからさまな差別と言えるものです。
一体、誰が「請願」を「区民の声」として処理するよう命じたのか--。
文京区長であったとしたら、重大問題と言わざるを得ません。
(注1)文京区職員が特定の区民に対して「差別主義者である」といった発言をしたとの事実確認と解明、文
京区職員において差別意識をなくすための制度や仕組みの構築、研修強化を求める請願
(2019年7月29日)
「文京区職員が特定の区民に対して『差別主義者である』といった発言をしたとの事実確認と解明、文京区職員において差別意識をなくすための制度や仕組みの構築、研修強化を求める請願」における請願項目7~9は次の通りです。
7 上記5と同様の趣旨に鑑み、職員行動指針「チーム文京スピリット」を抜本的に見直し、区民に「差別主義者である」などとレッテルを貼ったり、人格攻撃につながるような発言を公式・非公式を問わず決してしたりしないとするような項目を盛り込んでください。
8 上記5と同様の趣旨に鑑み、今回の発言がまちづくりや「地区計画」づくりの過程で持ち上がったことを踏まえ、「文京区まちづくり推進要綱」を見直す際、あるいは新たに「文の京」まちづくり基本条例(仮称)といった条例を制定する際には、用途制限を求める区民を区職員が「差別主義者である」などと評すことのないような手続きのあり方や仕組みとするようにしてください。
9 上記5と同様の趣旨に鑑み、文京区においても、東京都国立市同様(*1)、あらゆる差別を禁止し、決して人権侵害を許さないとする条例を制定してください。
(*1) 国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例
なお、この「請願」には別紙を添付し、以下のように書きました。
「文京区において、文京区職員が特定の区民に対して『差別主義者である』との発言をしたとの事実確認と解明のため、事情聴取を行う際には、私自身が聴取に応じる考えがあるほか、『差別主義者である』とのレッテルを貼られた特定の区民においても聴取に応じるとともに、証拠となる書証を提出する考えのあることを付け加えます」--。
ところが、この「請願」と取り扱いを巡り、予想だにしないとんでもない事態が起きたのでした…
(2019年7月26日)
「文京区職員が特定の区民に対して『差別主義者である』といった発言をしたとの事実確認と解明、文京区職員において差別意識をなくすための制度や仕組みの構築、研修強化を求める請願」における請願項目9つのうち、4~6は次の通りです。
4 上記1において事実が認められ、上記2において合理的根拠が見いだせないのであれば、発言をした職員から当該区民に対して謝罪させてください。
5 上記1において、事実確認ができなかった場合でも、文京区都市計画部の課長級職員から、「(ある特定の区民が)差別主義者である」と聞いた区民がいたことは事実であり、その人物がその特定の区民らに対して「都市計画部の課長級職員から、(あなたが)『差別主義者である』と聞いた」ことを私たちに伝えたことは事実であるわけですから、「文の京」自治基本条例を抜本的に見直し、区の職員の責務として、差別意識を廃し差別的な言動を慎む項目を入れてください。
6 上記5と同様の趣旨に鑑み、「文京区職員育成基本方針」を見直し、特に「職員として必要な意識」の中の「人権尊重の意識」と「公務員倫理 とコンプライアンスの意識」の項目を強化・徹底し、二度と同じようなことが起こらないように職員の育成において意識改革を徹底してください。(続く)
(2019年7月25日)
「文京区職員が特定の区民に対して『差別主義者である』といった発言をしたとの事実確認と解明、文京区職員において差別意識をなくすための制度や仕組みの構築、研修強化を求める請願」における請願項目は9つありました。
その1~3は以下の通りです。
1
平成30年4月1日~平成31年3月末当時、都市計画部の課長級職員に於いて、千石4丁目在住で、区民発意のまちづくりや「地区計画」づくりに取り組む特定の区民を評し、その人物が「差別主義者である」との発言を公式・非公式を問わず、区職員や区議会議員らにした事実があるかどうかを確認してください。
2 上記1において、事実が認められたのであれば、どうしてその当該区民が「差別主義者である」とのレッテルを貼られ、人格攻撃を受けねばならなかったのか、区としての合理的根拠を添えて解明してください。
3 上記1において事実が認められ、上記2において合理的根拠が見いだせないのであれば、そのような発言をした区職員はなぜ、この当該区民に対し、「差別主義者である」と発言したのか、その背景や理由、原因を明らかにしてください。(続く)
(2019年7月24日)
日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいて文京区長に提出した「請願」の中で綴った「請願理由」を続けます。
「こうした発言があった当時、この区民ら(私も含めて)は、千石4丁目に於いて、地元区民の発意に基づくまちづくりの一環として「地区計画」づくりに取り組んでおり、文京区都市計画部各課との話し合いの中で、この区民は『簡易宿所やカプセルホテルに対する用途制限をかけたい』旨の発言をしており、『地区計画』の手法を用途制限に活用することに異を唱える都市計画部の課長級職員がこの区民に対し、『差別主義者である』と評した可能性も否定できないと考えています」
「しかし、事情がどうであったとしても、純粋にその地域の住環境を慮ってまちづくりや『地区計画』づくりに取り組んでいる区民に対し、文京区の職員が陰でその区民のことを「差別主義者である」などとレッテルを貼ることは断じて許されません」
「文京区では平成28年4月1日、『障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律』(障害者差別解消法)の施行を踏まえ、職員が事務・事業を行うに当たり守るべき服務規律として、職員対応要領『文京区における障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応要領』を訓令として定めていますが、これは障害を理由とする差別の解消に関するものです」
「また、文京区男女平等参画推進条例を踏まえ、平成29年3月に『文京区職員・教職員のための性自認及び性的指向に関する対応指針』を策定していますが、その指針の範囲は性別に起因する差別的な取扱い(性的指向又は性的自認に起因する差別的な取扱いを含む)、その他の性別に起因する人権侵害を行ってはならないなどに限られています」
「『区民に対して『差別主義者である』との発言があったとされる問題は、地方公務員法に抵触するだけなく、『文の京』自治基本条例の精神に反し、『文京区職員育成方針』にも背くものであり、徹底的な事実の究明と、事実であれば背景や原因の分析、さらには再発防止策が急務であると考えます。そこで下記のとおり請願いたします」(続く)
(2019年7月23日)
文京区議会で理事者として答弁する課長級職員が、まちづくり活動に取り組む特定の区民に対し、「差別主義者である」と評したとされる問題で、私は文京区長に対し、日本国憲法第十六条並びに請願法に基づいて「請願」を提出しました。
「請願」のタイトルは、「文京区職員が特定の区民に対して『差別主義者である』といった発言をしたとの事実確認と解明、文京区職員において差別意識をなくすための制度や仕組みの構築、研修強化を求める請願」--。
請願理由として、私は以下のことを綴りました。
「文京区千石4丁目で区民の発意に基づくまちづくりに中心的に携わってきた区民のひとりが、文京区都市計画部の複数の職員から、『差別主義者である』との人格攻撃を受けているということを聞きました」
「私が事実関係を調べた範囲では、都市計画部の複数の課長級職員が、千石4丁目在住の特定の区民に対し、『(その人物は)差別主義者である』との発言を区議会議員らにしていたもので、少なくともその発言を区職員から直接聞いた人物は、『差別主義者である』と聞いた旨を証言しています」
「仮に、この発言が公の場ではなく、非公式な会話の中で出たものであったとしても、公務員としての自覚に欠けた行為であり、また仮にこの発言が『差別主義者である』という一字一句正確な発言ではなかったとしても、聞き手が『差別主義者であるとの発言があった』と認識しているわけですから、特定の区民に対してあたかも『差別主義者である』かのような発言があったことは疑う余地がなく、それが伝播して私の耳にも入ったことに鑑みれば、区政上の重大な問題発言であると思います」(続く)
(2019年7月22日)
元号が令和に変わり、文京区議会も令和元年6月議会が開かれたばかりですが、まちづくり活動に携わる区民に対し「差別主義者である」と評したとされる区職員は、今なお理事者として区議会の委員会に出席しています。
この課長級職員(理事者でもある)が、発言した事実を認めない限り、特定の区民に対し「差別主義者である」と評したかどうか事実関係は確定しないわけですから、場合によっては「言った」「言わない」の水掛け論になりかねません。
だからこそ、事実確認や調査は中立性が高く、公平性と公正性が担保される独立した第三者委員会が、関係者への事情聴取も含めて実施することが求められるというわけです。
文京区にとっては、危機管理の側面からも、のらりくらりと区民からの追及をかわすのではなく、本腰を据えて真正面から向き合うことが欠かせないのではないでしょうか。
「火の無い所に煙は立たない」わけで、「火」があったなら初期消火しておかないと、思わぬ大火災にならないとも限りません。
(2019年7月19日)
今回、文京区の職員(区議会委員会において理事者でもある)が、まちづくり活動に携わる区民に対し「差別主義者である」と評したとされる問題が事実であったことは、文京区議自身が「理事者が○○さん(千石4丁目でまちづくり活動に取り組んでいた特定の区民)のことを差別主義者と言ったのは非常に問題発言だと思いました」と書いたメールを送ってきたことからも裏付けられます。
もし、これに対し、「差別主義者である」と発言した文京区の課長級職員が「そんな発言はしていません」とか、「そのような発言をした記憶はございません」と答えたなら、別の問題も引き起こすことになります。
なぜなら、この文京区の課長級職員が区議が「区議は嘘を付いている」と言っているということにほかならないからです。
先日も触れましたが、文京区議に於いて、敢えて作り話をする必要性は見られず、作り話を区民に伝えることの利益も見当たりません。
ですから、文京区議の何度にもわたる口頭での発言、さらにはメールの記述から、現状では、文京区の職員(区議会委員会において理事者でもある)が、まちづくり活動に携わる区民に対し「差別主義者である」と評したとされる問題が事実であったと断定せざるを得ません。
事実確認や調査をするに当たっては、こうした事情や状況も踏まえて、しっかりとしてほしいところです。
(2019年7月18日)
文京区の職員が、まちづくり活動に携わる区民に対し「差別主義者である」と評したこと自体もさることながら、その発言が文京区の課長級職員で、しかも区議会の委員会に於いて理事者としても出席し、答弁している人物から出たというところに問題の根深さがあると言えます。
人権擁護の研修等をまだあまり多く受けていない若手職員がちょっと口走ってしまったという言い訳もできないですし、一般の区職員が軽はずみに陰口をたたいてしまったと釈明するわけにもいきません。
※これらの若手職員や一般職員の発言であれば許容されると言っているわけではありません。全職員に於いて、区民に対し「差別主義者である」などと評する言動があってはならないことは言うまでもありません。
そもそも課長級職員は、若手を含めて一般職員をを監督・指導する立場にありますから、その課長級職員が区民の人権侵害につながる発言をしたとなれば、区政の根本にもかかわると言えるでしょう。
それだけに、今回の問題の事実確認に当たっては、弁護士などで構成する第三者委員会を設置するなど、事実確認や調査に当たっての中立性や公正性、公平性を担保することが欠かせません。
決して上っ面の事実確認で終わらせてはならないことだけは間違いないでしょう。
(2019年7月17日)
文京区の問題に話を戻します。
今回、文京区の職員が、まちづくり活動に携わる区民に対し「差別主義者である」と評しているということが分かったのは、単に区民の間の雑談やいかがわしい怪文書などを通じて明らかになったわけではありません。
文京区議から直接聞いた話であり、それも何度も聞かされたことでした。
「差別主義者である」と評していたこと以外にも、文京区の職員として問題のある発言はいろいろあったと聞いています。
情報の信頼性という意味では、①文京区議から聞いたことであること、②その文京区議は文京区の職員と直接話した中で聞いたことであること、③この文京区議に於いて敢えて話を捏造するような動機も背景も利益もないこと--を考え合わせれば、極めて高い蓋然性をもってこの情報が真実であるということが分かるかと思います。
「火の無い所に煙は立たぬ」と言いますが、「煙」がどれほどのものであるかは措くとしても、文京区職員が特定の区民を評して一字一句違わず「差別主義者である」と言ったかどうかは別にして、「火」を付けたことだけは確かと言えますし、区民に於いてその話が真実であるという相当性もあったと言えるでしょう。
(2019年7月16日)
長野県中野市の「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」の第4章「人権に関する重要課題の施策推進計画」は7節で構成されています。
第1節 同和問題
第2節 女性の人権
第3節 高齢者の人権
第4節 障がいのある人の人権
第5節 子どもの人権
第6節 外国人の人権
第7節 その他の人権
これに対して、「文京区基本構想」を読むと、「差別」という言葉は「障害者福祉」の項目にしかなく、「『合理的配慮』の考え方を浸透させ、差別のない社会としていくため、障害のある人とない人との交流の場づくりや啓発活動などを通して、心のバリアフリーなどを推進します」とあるだけです。
もちろん、「文京区基本構想」の後に、特定の分野における「差別」撤廃や禁止を謳った条例や対応指針等はありますが、「あらゆる差別」を対象とするところまではいっていません。
まさかとは思いますが、もしかすると一部の文京区の職員においては、文京区が行政上、何らかの対応をしている「差別」だけが「差別」であり、それ以外の分野では「差別」問題はないと考えているのかもしれないと思ってしまいます。
そうでなければ、まちづくり活動に熱心に取り組む区民を評して「差別主義者である」などという発言が区職員から出たとされる問題が持ち上がるとは思えないのです。
(2019年7月12日)
長野県中野市では、「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」における「行政に携わる職員の人権感覚の醸成」として、以下の「施策」を打ち出しています。
◎市行政の全てにおいて、人権に配慮した行政施策の展開に努めます。
◎ 職員自らの人権意識を高めるために、人権に関する職員研修体制の充実に努めます。
◎ 市民の立場にたった電話応対、接客等、人権尊重の基本理念や社会的マナーに基づいたきめ細かな対応に努めます。
◎ 職場ごとの自主研修に努めます。
◎ 地域で開催される学習機会への参加を促すとともに、地域リーダーとしての意識の向上に努めます。
文京区長と副区長に対しては、文京区においてもこれまで以上に、「行政の全てにおいて、人権に配慮した行政施策の展開に努め」てほしいところです。
特に、都市計画部のまちづくり関連担当においては、「職員自らの人権意識を高めるために、人権に関する職員研修体制の充実に努め」、「職場ごとに自主研修に努め」てほしいと強く求めます。
特定の区民を「差別主義者である」と評したとされる区職員については、区民の立場に立った言動、人権尊重の基本理念や社会的マナーに基づいたきめ細かな対応に努めてほしいと思う次第です。
特定の区民に対して「差別主義者である」などと評することこそ、「差別」であるということを胸に刻みつけてほしいと思います。
(2019年7月11日)
長野県中野市の「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」における「人権重視の行政」で、もうひとつ取り上げるとすれば、「人権に関わりの深い特定職業に従事する者に対する人権教育の推進」です。
「地域において福祉活動等に従事する民生委員・児童委員、ホームヘルパー、あるいは福祉施設等に勤務する職員等」は当然ながら、文京区において、まちづくり活動に取り組む区民が区職員によって「差別主義者である」と評されたとされる問題が起きたことに鑑みれば、都市計画部の職員もまた、「人権に関わりの深い特定職業に従事する者」と言えるかと思います。
行政主導のまちづくりであるか否かを問わず、区職員がまちづくり活動に携わる区民に対して「差別主義者である」などと評することがあってはならないでしょう。
「地区計画」まで視野に入れているか否かは別にして、合意形成が重要である「まちづくり」活動において、区職員が特定の区民を「差別主義者である」などと評することは、区民に分断を生じさせ、こうした合意形成のプロセスを根底から破壊することにつながりかねません。
ある意味、「まちづくり」の現場もまた、決して「差別」を許さない覚悟と決意が必要であるにもかかわらず、その基本を定めた「まちづくり基本条例」がないところに、文京区の問題の根があるとも見て取れます。
都市計画部の区職員が特定の区民に対し、「差別主義者である」と評したとされる以上、その”贖罪”の意味も込めて、「あらゆる差別なきまちづくり基本条例」を制定すべきではないでしょうか。
(2019年7月10日)
長野県中野市の「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」に学ぶにあたり、文京区の職員において特に重要なのは次の2点でしょう。
①「人権に配慮した行政施策を推進していくには、職員一人ひとりが人権感覚をさらに身に付ける必要があ」るということ
②「行政に携わる全ての職員は、常に市民の側に立ち基本的人権を尊重し、市民の権利を守」るということ
文京区職員が特定の区民を評して「差別主義者である」と人格攻撃したとされる問題が顕在化したことは、この区職員において「人権感覚が身に付いていなかったことの証しです。
そして、それはまた、この区職員において、「常に市民の側に立ち基本的人権を尊重」するという意識が欠如していたことの証しでもあるでしょう。
ちなみに、「文京区職員育成基本方針」において、「差別」という言葉が出て来るのは1カ所だけであり、「文京区の職員として求められる意識は、次のとおりです」というところの「人権尊重の意識 人権保障の担い手として、あらゆる差別や偏見を排除し、一人ひとりが尊重される社会の実現に努める意識」だけに留まっています。
長野県中野市と比べるまでもなく、明らかに文京区は劣っていることが分かるでしょう。
文京区長、副区長がこうした事態をこのまま放置しておくのか、あるいは喫緊の課題として是正・改善に取り組むのか、重大な関心を持って見守りたいと思います。
(2019年7月9日)
長野県中野市の「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」の第3章第1節「人権重視の行政」もまた、文京区長そして職員にとって特に重要です。
「行政に携わる職員の人権感覚の醸成」の項目には次のように書いてあります。
「中野市におけるあらゆる差別撤廃及び人権擁護に関する条例」の制定により、さらに行政のあらゆる分野において、人権を重視した施策が求められています。
行政に携わる市職員は、公平で公正な行政施策を推進する義務があります。また、人権に配慮した行政施策を推進していくには、職員一人ひとりが人権感覚をさらに身に付ける必要があります。
今後は、これまで実施してきた職員研修の経験や手法を参考に、新たな感性で人権教育を進めていくことが望まれています。
行政に携わる全ての職員は、常に市民の側に立ち基本的人権を尊重し、市民の権利を守り、部落差別をはじめ、あらゆる差別をしない、させない、許さない社会の形成に努める必要があります」--。
しかし、文京区には「あらゆる差別撤廃及び人権擁護に関する条例」といった条例がありません。
中野市では、「新たな感性で人権教育を進めていくことが望まれています」との認識がありますが、文京区においてそうした認識があるのかどうか、今ひとつ読み取れません。
文京区において、「行政に携わる全ての職員は、常に市民の側に立ち基本的人権を尊重し、市民の権利を守」ろうとしているかどうか、疑わしいと感じてしまうのも本音です。
文京区長、副区長をはじめ、全職員において、「あらゆる差別をしない、させない、許さない社会の形成に努める必要がある」との認識をどこまで持っているでしょうか。
少なくとも文京区において、区職員が特定の区民を評して「差別主義者である」とレッテル貼りしたとされる問題が顕在化したわけですから、その事実確認と真相解明を急ぐことが欠かせないことだけは確かです。
(2019年7月8日)
長野県中野市の「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」の第1章第4節「人権のまちづくりの方向」は、文京区長、そして職員にとって特に重要でしょう。
「(1) 人権のまちづくりの推進」にはこう書いてあります。
「真の住民自治を実現していくためには、住民意思の施策への反映や民間活動との連携・協力を図っていくことが必要であり、住民参加の『まちづくり』が望まれています。そこで、『人権』と『まちづくり』を結び付けるものが、この計画であると位置づけ、市民と行政が一体となって、『人権のまちづくり』を進めていくことが重要といえます」--。
「(2) 市民参加の『人権のまちづくり』への取組」には次のように書いています。
「行政はもちろんのこと市議会、企業、市民等、それぞれの立場で、お互いにどんな協働が出来るか話し合い、人権のまちづくりを進めていくことが求められています」--。
こうして見ていくと、文京区は「協働・協治」の理念を掲げてはいるものの、「あらゆる差別」を禁止し撤廃するという認識が薄いことが見て取れます。
都市計画部の区職員において、まちづくり活動に携わる特定の区民を「差別主義者である」と人格攻撃したとされる問題が起きた以上、「文の京」自治基本条例をこのまま放置しておくわけにはいかないことだけは確かでしょう。
(2019年7月5日)
◆長野県中野市の「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」を読むと、「基本的視点」として4つ掲げられています。
(1) 人権が大切にされ、自由で平等な開かれた社会に向けて
(2) 社会的に弱いあるいは不利な立場にある人々の視点に立って
(3) ノーマライゼーション(*1)とバリアフリーのまちづくりをめざして
(4) 差別意識の解消に向けた教育及び啓発の推進
(*1)ノーマライゼーション=障がいのある人もない人も、高齢者も若者も、誰もが等しく住み慣れた家庭や地域でお互いに尊重しあいながら、普通の生活ができるようにするという考え方
改めて強調しますが、文京区には「文の京」自治基本条例はありますが、その中に「差別」という言葉はなく、「あらゆる差別」を撤廃し禁止するという文言はありません。
文京区では、「まちづくり基本条例」は制定されておらず、「人権のまちづくり」は謳われていません。
文京区の住環境課長は建設委員会において「本区のいわゆるまちづくりに関する条例、要綱は、個別の目的ごとに制定している」ので、「新たにまちづくり条例を制定する考えはない」と答弁していますが、間違いであることは明らかでしょう。
結局のところ、こうした”強弁”をしているところに、区職員において特定の区民を「差別主義者である」と評するような組織風土が醸成されていると思わざるを得ません。
(2019年7月4日)
長野県中野市の「第2次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」によると、「計画推進のための体制」として、「あらゆる差別をなくす施策に取り組むため、庁内のすべての部局で各種施策を推進しており、必要な推進体制の整備・充実を図っています」とのことです。
文京区においても、「文京区職員育成基本方針」の中で、「職員として必要な知識」として、「人権尊重の意識 人権保障の担い手として、あらゆる差別や偏見を排除し、一人ひとりが尊重される社会の実現に努める意識」と明記されています。
しかし、「育成基本方針」で謳われているだけで、実際に浸透していないことは、都市計画部の職員が、まちづくり活動に取り組む特定の区民を評して「差別主義者である」とレッテル貼りしたとされる問題が起きたことからも明らかでしょう。
「文京区職員育成基本方針」は副題として、「自ら考え行動できる職員の育成に向けて」と書いてありますが、「自ら考え行動できる職員」が育成できているなら、このような問題は起きるはずはないわけです。
文京区においての政策上の「差別」撤廃は、「障がいに基づく差別」「性差に基づく差別」「性自認や性的指向に基づく差別」が対象であり、それ以外の「差別」については重点政策として取り上げられていない思わざるを得ません。
「差別」問題を特定分野の「差別」に限ることは、まさに「差別問題」を”差別”しているに等しく、その意味で抜本的な職員の意識改革が必要でしょう。
もちろん、そのためには文京区長において抜本的かつ根源的な意識改革が必要であることは言うまでもありません。
(2019年7月3日)
長野県中野市では、2005年4月に「中野市におけるあらゆる差別撤廃及び人権擁護に関する条例」を制定しており、2004年度に「第1次中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」を策定。現在の「推進総合計画」は第2次ということになります。
第2次の策定に当たり、中野市ではその策定趣旨を次のように書いています。
「計画策定から10 年が経過する中、人権課題の多様化や複雑化をはじめ、少子高齢化や社会経済情勢等の変化に伴い、新たな課題も生じてきています。
そこで、平成28 年度(2016 年度)に計画の期間が終了することに伴い、これまでの成果と課題を踏まえ、より一層効果的な施策の推進を図るため、見直しを行い、次期総合計画を策定するものです」--。
この間、文京区はどうしていたでしょうか。
あらゆる分野を対象に差別撤廃や人権擁護の取り組みを進めてきたでしょうか。
特定の分野における差別撤廃や人権擁護の取り組みも重要であり、進歩ではありますが、そこに留まっていては、それ以外の分野での「差別」は温存され、助長されることにつながります。
今回、都市計画部の区職員が、まちづくり活動に携わる特定の区民に対して「差別主義者である」と人格攻撃したとされる問題は、まさにそうした区政の取り組みの延長線上に起きたと言えるでしょう。
結局のところ、文京区があらゆる差別の撤廃に向けて、「諸施策を効果的、効率的に推進することを基本とした総合計画」(長野県中野市)を策定しない限り、また別の分野で差別問題が起こるであろうと憂慮せざるを得ません。
(2019年7月2日)
◆長野県中野市は「人権のまちづくりをめざして」と題した「中野市差別撤廃・人権擁護推進総合計画」があります。
その冒頭の挨拶の中で、中野市長は次のように述べています。
「推進にあたっては、行政と市民が一体となって「人権のまちづくり」に取り組み、一人ひとりがお互いの人権を重んじ、『差別のない、あたたかな思いやりの心と、お互いが支えあう共生の社会の実現』をめざしていきたいと存じます」--。
もし、文京区長が「人権のまちづくり」の旗を高く掲げ、常日ごろから職員に「人権のまちづくり」の重要性を説いていれば、文京区の職員が特定の区民を評して「差別主義者である」などという人格攻撃をしたとされるような問題は決して起きなかったでしょう。
文京区を本当に、「だれもが住み続けたい・住みたくなる快適で魅力的なまち」にする気があるなら、文京区長だけでなく、副区長、そして各部の部長がそ率先して「人権のまちづくり」の必要性を認識し、実行していく姿勢が求められると思います。
(2019年7月1日)
「あま市人権尊重のまちづくり条例」の「全文」をご紹介します。
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等です。これは、世界人権宣言にうたわれている人類普遍の原理であり、個人として尊重され、基本的人権の享有が保障されている、日本国憲法の理念とするところです。
しかし、今なお、人種、信条、性別、社会的身分又は門地等に起因する人権侵害が存在し、社会情勢の変化等により、人権にかかわる新たな課題も生じ、それらの解決に向けた積極的な取組みが求められています。
私たち一人ひとりは、自らの人権意識を高め、差別や偏見のない、明るく住みよい社会を築いていかなくてはなりません。
よって、私たちあま市民は、共に考え、支え合いながら、お互いの人権を尊重し、思いやりの心にあふれた、自由かつ平等で公正な社会の実現を目指し、不断の努力を重ねていくことを決意し、この条例を制定します」--。
第1条の「目的」は次のようになっています。
「この条例は、市が推進する人権尊重のまちづくりに関し、市並びに市民及び事業者の責務を明らかにするとともに、市が実施する人権尊重のまちづくりに係る施策(以下「人権施策」という。)の基本となる事項を定めることにより、すべての人の人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的とする」--。
そして、第3条の「市の責務」は以下のように書いてります。
「市は、第1条の目的を達成するため、市行政のあらゆる分野において人権施策を推進するとともに、人権意識の高揚を図るための施策を実施する責務を有する」--。
特定の区民を「差別主義者である」と称したとされる文京区の職員だけでなく、区長、副区長をはじめとする全職員は、あま市人権尊重のまちづくり条例」と「あま市人権尊重のまちづくり行動計画」をよく読んで頂きたいと思います。
(2019年6月28日)
「文の京」まちづくり基本条例を制定するのでれば、「あま市人権尊重のまちづくり行動計画」の基本目標⑤の「共生社会をめざす」も盛り込んでほしいところです。
あま市の「行動計画」にはこう書いてあります。
「さまざまな人の存在を前提として、お互いの異なる考え方や生き方を認め合うことが人権尊重の基本です。お互いがそれぞれの価値観・個性を尊重する、人権意識の高いまちを共に目指します」--。
特に「人権意識の高いまち」を目指すと言うこと、「人権意識の高い」まちづくりに取り組む重要性は強調し過ぎることはないでしょう。
文京区議会の建設委員会における文京区の答弁を見ると、ここのところずっと、条例や要綱は目的ごとに整えられており、まちづくり条例を制定する必要性はないといった発言が続いています。
しかし、区職員から特定の区民を称して「差別主義者である」といった発言が飛び出したとされる問題が起きたからには、これまでと同じ答弁を繰り返すことはできないでしょう。
文京区長と副区長においては、こうした現実としっかり向き合って頂き、少なくとも見て見ぬふりをしたり、この問題の解明や真相究明から目を背け、闇から闇へ葬るようなことだけはしないで頂きたいと思います。
(2019年6月27日)
「あま市人権尊重のまちづくり行動計画」の基本目標④の「みんなの協働による取り組み」の項目も、文京区にとって参考になるでしょう。
そこにはこう書いてあります。
「あらゆる人権問題は、すべての市民が協力して取り組むべき課題であるとの認識に立って、市民、事業所、行政の協働による人権尊重のまちづくりを推進します」--。
都市計画部の部長をはじめ、全課長が同じ思いを胸に刻み込んでいれば、まちづくり活動に携わる区民を称して「差別主義者である」などといった発言が公式・非公式を問わず、出るはずがありません。
文京区は、「文の京」自治基本条例で、「協働・協治」の精神を打ち出しているわけですから、「『協働・協治』による人権尊重のまちづくりを推進します」と”宣言”できるはずなのです。
「文京区まちづくり推進要綱」の見直しの際に盛り込むのが難しいのであれば、「文の京」まちづくり基本条例を制定する際にはぜひとも盛り込んでほしいと思います。
そうすれば、必ずや区民に対して「差別主義者でる」などと言うような区職員は二度と出て来ないと思うのです。
(2019年6月26日)
「あま市人権尊重のまちづくり行動計画」の基本目標をもう少し詳しく見ていきます。
基本目標の②「一人ひとりの人権を尊重する」には、こう書いてあります。
「人権の尊重とは、市民一人ひとりが多様な価値観や考え方に基づいて生活しているという現実の中で、お互いがそれぞれの生き方や個性を認め合っていくことです」
「一人ひとりが自立した存在として尊厳が保たれ、個人の自由が確保された平等社会の中で個性と能力が十分発揮できる、偏見や差別のない地域づくりを推進します」--。
行政主導のまちづくりの中では余り顧みられることはなかったかもしれませんが、区民の自発的な発意に基づくまちづくりにおいては極めて重要といえるでしょう。
区と区民が「協働・協治」の精神でまちづくりに取り組むにあたっての大前提となるはずですが、「文の京」自治基本条例に、ここまで明確に謳われていません。
もちろん、「文京区まちづくり推進要綱」に盛り込まれているはずがなく、こうした基本的な前提こそ、「まちづくり基本条例」の中でしっかり謳うべきではないでしょうか。
文京区は、「まちづくり基本条例」の必要性を頑として認めようとしませんが、ではこうしたまちづくりを進める上での精神的な理念や心のありようをどこでどう謳えばいいというのでしょうか。
区職員が区民に対し、「差別主義者である」と称するとされる”事件”が起きているわけですから、このまま見て見ぬふりをして放置するわけにはいかないずです。
(2019年6月25日)
愛知県あま市には、「あま市人権尊重のまちづくり行動計画」があります。
基本理念には、「いつでもどこでも人権が大切にされ、誰もが喜びと生きがいを感じられる、信頼、助けあい、そして思いやりにあふれた 人権尊重のまちづくりを目指します」と書いてあります。
基本目標は5つ。
① 自尊感情を持って生きる
② 一人ひとりの人権を尊重する
③ 人権感覚を醸成する
④ みんなの協働による取り組み
⑤ 共生社会をめざす
ここで強調したいのは、「人権尊重」と「まちづくり」が密接かつ深く関わっていることです。
文京区に、「文の京」まちづくり基本条例があり、「あま市人権尊重のまちづくり行動計画」の内容が盛り込まれていれば、区職員が区民に対して「差別主義者である」というレッテル貼りが起こるようなことはなかったと思います。
(2019年6月24日)
「文京区都市マスタープラン2011」には「差別」という表現は出てきません。
普通に考えれば、ある意味、当然かもしれません。
しかし、文京区において、まちづくり活動に取り組む区民が、都市計画部の区職員によって「差別主義者である」と評され、人格攻撃されたことに鑑みれば、全く触れないわけにはいかないのではないでしょうか。
滋賀県甲良町の「まちづくり条例」には、「町民によるまちづくりの活動は、自主性および自立性が尊重され、町の不当な関与を受けない」、「町民によるまちづくりの活動は、差別を温存したり助長したりするものであってはならない」などが定められています。
大分県九重町の「まちづくり基本条例」には、「人権を尊重するまちづくり」が」謳われ、「第6条 住民、議会及び行政は、基本的人権を尊重するまちづくりに努めなければならない」「まちづくり活動は、差別を温存、助長するものであってはならない」とあり、さらに「住民は、法の下に平等で、何事にも差別されず、まちづくりに参加することができる」「住民は、まちづくりに関して、不参加を理由に不利益を受けない」「住民によるまちづくり活動は、自主性・自立性が尊重され、町の不当な関与を受けない」と続きます。
同町では「町職員の責務」として、「第13条 町職員は、誠実かつ効率的な職務を遂行し、住民との信頼関係を築き、まちづくりの支援に努めなければならない」ともあります。
このほか、秋田市には「秋田市障がいのある人もない人も共に生きるまちづくり条例」があり、泉大津市には「男女共同参画のまちづくりを推進する条例」があります。
ところが、文京区は「まちづくり基本条例」がなく、「文の京」自治基本条例でも、「あらゆる差別」の撤廃が謳われていないわけですから、せめて「都市マス」において、都市計画やまちづくりにおける「あらゆる差別」を禁止する方向性と将来像を打ち出すべきでではないでしょうか。
こうして考えてくると、区職員による、区民に対する「差別主義者である」というレッテル貼りが起こる風土が文京区にはあると読み取ることができるのかもしれません。
(2019年6月21日)
「文京区基本構想」において、「差別」という表現が出てくるのは1カ所だけです。
2-2 障害者福祉
(1)分野ごとの将来像 ~10 年後にあるべき姿~だれもがお互いに人格と個性を尊重し、支え合うまち
ノーマライゼーション(注4)の理念に基づき、障害の有無にかかわらず、だれもが人格と個性を尊重される、一層ふれあいのある社会にしていきます。また、住み慣れた地域社会で豊かな生活が送れるよう、居住空間の整備や地域全体のバリアフリー化などを進めるとともに、就労支援などを推進することで、障害者の自立生活や社会参加が実現できるまちを目指します。
注4) 「ノーマライゼーション」とは、障害のある人もない人も、子どもも高齢者も、すべての人が地域で普通(ノーマル)の生活を送ることを当然とし、共に認め合って普通の生活ができる社会を創造すること。また、その考え方をいいます。
(2)実現に向けた基本的取組
⑦ 「合理的配慮(注5)」の考え方を浸透させ、差別のない社会としていくため、障害のある人とない人との交流の場づくりや啓発活動などを通して、心のバリアフリーなどを推進します。
注5) 「合理的配慮」とは、障害のある人もない人も、互いに生き方や生きがいを尊重し、認め合い、共に暮らしていくために必要な配慮をいいます。例えば、障害者が継続して仕事ができるよう人的な支援や職場環境の改善を雇用者が行うことや障害者が円滑に移動できるように支援すること(過度の負担とならない範囲
が該当します。
これだけを見ると、あたかも文京区において「差別」は「障害者福祉」の分野に限られているかのように思えてしまいます。
もちろん、実際には文京区男女平等参画推進条例を踏まえ、平成29年3月に「文京区職員・教職員のための性自認及び性的指向に関する対応指針」を策定するなどしていますが、今回、都市計画部を舞台に起きたことも含め、文京区は条例上、「あらゆる差別」を禁止するとしているわけではありません。
「あらゆる差別」を禁止するという観点から、「文京区基本構想」を抜本的に見直す必要があることは論をまたないでしょう。(続く)
(2019年6月20日)
文京区の職員が、合理的根拠もなく、合理的根拠を示すこともなく、たとえ陰口であったとしても特定の区民を「差別主義者である」と評する発言をすることは自治体として由々しきことです。
なぜなら、こうした発言をすること自体があからさまな「差別」であって、こうした発言者自身が「差別主義者」であるのではないかと疑われても仕方ないからです。
文京区には「文京区まちづくり推進要綱」がありますが、その中に「差別してはならない」といった「差別」に関する言及はありません。
https://www.city.bunkyo.lg.jp/var/rev0/0178/5815/20181120101824.pdf
「まちづくり基本条例」を制定する自治体では、「まちづくりへの参加は、市民の自主的な行動であり、参加、不参加による差別的な扱いを受けない」といった差別禁止が盛り込まれています。
例えば、北海道ニセコ町の「まちづくり基本条例」には、「3 町民によるまちづくりの活動は、自主性及び自立性が尊重され、町の不当な関与を受けない」と明記してありますが、文京区にはそもそも「まちづくり基本条例」がないのです。
文京区には、「文の京」自治基本条例があり、「第3章 区民等の権利と責務」の第8条で「(区民の権利)区民は、地域社会の一員として協働・協治の社会の実現に参画する権利を有する。2 区民は、地域の課題を解決するための活動に関する情報を求めることができる」と謳っていますが、「市民の権利は、公共の福祉に反しない限り最大限に尊重され、市民は、 権利の行使に際しては不当に差別的な扱いを受けない」(大阪府岸和田市の自治基本条例)等の規定はありません。
こうした条例制定の実情を踏まえると、文京区において区の職員が特定の区民に対し、「差別主義者である」とのレッテルを貼るような言動があっても仕方のない組織風土があったと言えないこともないと考えられるのではないでしょうか。(続く)
(2019年6月19日)
「差別主義者である」などとレッテルを貼られたとされる区民も、その地域でまちづくり活動に携わっているそのほかの区民も、「地区計画」づくりにおいてホテル・旅館の「用途制限」だけを求めているわけではありません。
文京区の都市計画部の説明に基づき、多様な項目において目標やルールを定め、「地区計画」を作ろうとしていました。
文京区の意向を無視し、ホテルや旅館の「用途制限」だけで「地区計画」づくりを進めようとしていませんでしたし、進めようとする強硬姿勢を示していたわけでもありません。
地元区民の合意形成の過程で、もしかしたら最終的にホテルや旅館の「用途制限」だけしか残らなかったという事態が想定されないわけではありませんが、少なくとも特定の区民を含めて、当初からオープンかつ幅広く目標やルールを定めていく方向性を打ち出していました。
その経過から言えば、なぜこの特定の区民が都市計画部の区職員から「差別主義者である」などというレッテルを貼られなければならないのか、全く理解できないと言うことになります。
この特定の区民において、まちづくり活動や「地区計画」づくりの中で差別主義的な手法や言動があり、同じ地域のほかの区民から苦情が出ていたというのであれば話は別ですが、そうしたこともありませんでした。
文京区長においては、ぜひともこの発言の事実確認とともに、動機の解明と真相の究明に取り組んでほしいと思います。(続く)
(2019年6月18日)
「地区計画」の「用途制限」として、ラブホテルやパチンコ店を対象とするケースは全国でも珍しくありません。
その意味で、普通の「ホテルや旅館」を「用途制限」の対象とすることは珍しいかもしれません。
仮に、区職員において「ラブホテルやパチンコ店を用途制限の対象とするのはいいが、ホテルや旅館を用途制限の対象とするのは差別であり、そうした用途制限を主張するのは差別主義者である」と考えたとして、全くあり得ない話とまでは言い切れないかもしれません。
ですが、昨日も指摘しましたが、「地区計画」の手法として、違法ではないわけです。
特定の区民だけの意向ではなく、地元区民を含めて2500人を超える人々の”総意”でもあるわけです。
穿った見方かもしれませんが、「ラブホテルやパチンコ店を用途制限の対象とするのはいいが、ホテルや旅館を用途制限の対象とするのは差別である」とするのは、あたかもこの区職員がホテルや旅館業と何らかの関係があり、忖度しているようにも映ります。
「ラブホテルやパチンコ店を用途制限の対象とするのはいいが、ホテルや旅館を用途制限の対象とするのは差別である」と主張するのであれば、その合理的根拠を示し、区民に対しても丁寧に説明すべきでしょう。
少なくとも、陰で特定の区民を評して「差別主義者である」などとレッテル貼りをするような言動は断じてしてはならないはずです。
(2019年6月17日)
「カプセルホテルや旅館が建たないように『用途制限』をかけたい」--。
これは、文京区の職員から「差別主義者である」とレッテルを貼られたとされるこの特定の区民だけが主張しているのではなく、「地区計画」対象エリアのほぼ全員の区民の要望でもありました。
この地域における「簡易宿所」の建設反対の請願の際は2500人を超える署名が集まったことからも、ある意味、区民の”総意”であったわけです。(*1)
それにもかかわらず、なぜこの特定の区民だけが標的とされ、「差別主義者である」などとのレッテルを貼られなければならないのでしょうか。
もし、本当に区職員が一字一句間違いなく、この特定の区民を評して「差別主義者である」と言ったのであれば、「地区計画」づくりとの関連は、動機解明の重要な焦点となるのでしょう。
もちろん、まちづくり活動や「地区計画」づくりとは全く別のところで、この区職員と特定の区民に接点があり、そこでの出来事による可能性が全くないわけではありませんが、今のところ両者をつなぐ接点は、まちづくり活動や「地区計画」づくりを除いては明らかになっていません。
(*1)平成30年2月6日第24号 厚生委員会にて第1項、第2項とも採択
https://www.city.bunkyo.lg.jp/var/rev0/0149/8107/5ryokangyou.pdf
(2019年6月14日)
「差別主義者である」との発言が事実であったとして、その動機の解明は区職員への事情聴取を待たなければならないでしょう。
ただ、現時点で区民として気懸かりな点があります。
それは、「差別主義者である」とのレッテルを貼られたとされる区民が、千石4丁目でまちづくり活動に取り組み、地元区民の発意に基づく「地区計画」づくりに携わっていたという事実です。
この「地区計画」づくりのポイントは、「地元区民の発意に基づく」というところであり、行政主導の「地区計画」ではないところにあります。
文京区職員にとってあってはならないことですが、行政を差し置いて区民が「地区計画」づくりを申し出るなど「小賢しい」とか「差し出がましい」との心理がわずかでも働かなかったかどうか気になります。
もうひとつ、この区民は「地区計画」づくりにおいて、「カプセルホテルや旅館が建たないよう用途制限したい」としていた点も見逃せません。
なぜなら、文京区側は「用途制限だけを狙って地区計画をかけようとする地区計画の本来の趣旨とは異なる」と異を唱えていたからです。
文京区の現地域整備課長も、この点については「安易に地区計画をかけようと思ってもらっては困る」といったようなことを言っていました。
もし、特定の区民にレッテル貼りしたこの区職員において、「用途制限だけ狙って地区計画づくりを進めるような人物は差別主義者である」といった思考回路があったのではないかという懸念も拭えません。
ですが、そもそも「地区計画」の手法の中に「用途制限」は含まれており、全国的に見ても「用途制限」だけで「地区計画」の網をかけている地域はいくつもあるのです。
それだけに、なぜこの区民が「差別主義者である」との人格攻撃を受けなければならないのか、同じ文京区民としては全く理解できません。(2019年6月13日)
もしかしたら、この特定の区民が本当に「差別主義者」であるかもしれず、その可能性を誰もがゼロとは言い切れません。
その場合には、なぜ文京区の職員が特定の区民を評して「差別主義者」と言ったのか、合理的根拠が問われることになります。
公式・非公式を問わず、区職員が口にしていいかどうかはひとまず措くとして、合理的根拠があるのであれば、この特定の区民に於いても「非」があることになるからです。
一方、合理的根拠がないにもかかわらず、この区職員が特定の区民に対し「差別主義者である」と発言したのであれば、その動機と狙いは何であったかということが問題になります。
明確な狙いがあって意図的に発言したのかもしれませんし、つい口を突いて出てしまったのかもしれません。
この発言の前後にどのような会話ややり取りがあったのかなど文脈の中で判断する必要もあるでしょう。
しかし、どんな背景事情があったにせよ、文脈と切り離す形になって”独り歩き”したにせよ、自治体職員において、区民を「差別主義者である」などと評していいわけないことは論を待ちません。
その意味でも真相の究明と徹底解明が望まれるというわけです。(続く)
(2019年6月12日)
◆「『差別主義者である』とのレッテルを貼られたとされる区民」がいるということは、当然のことながら、この区民は「差別主義者ではない」ということが大前提となります。
今回、「差別主義者ではない」区民が、文京区の職員により、「差別主義者である」とのレッテルを貼られたとされることが問題であり、改めて詳述しますが、この発言が文京区における「まちづくり」との関連において飛び出したことに重大な意味があります。
まず、文京区長においては、なぜこの区職員が特定の区民を評して「差別主義者である」と述べたと言われるに至ったのか、その経緯と事実関係を明らかにしてもらいたいと思っています。
もしかすると、その区職員が「そのような発言はしていない」と主張する可能性もありますし、「(その区民のことを)差別主義者であると断定するような言い方はしていない」とか、「差別主義的であると言ったにすぎない」などと弁明するケースも考えられるからです。
しかし、区職員がこの区民を評して「『差別主義者である』と語った」という話が、この特定の区民をはじめ周辺の区民に届いていることは事実であり、そうした事実だけでも由々しき事態といえるでしょう。
「火のないところに煙は立たぬ」というつもりはありませんが、文京区において真の意味での「協働・協治」の精神が根付き、浸透していれば、たとえ悪質な噂であったとしても区民の耳に届くはずはないわけです。
文京区長においては事実を確認し、真相を究明して頂きたいと思います。(続く)
(2019年6月11日)
◆文京区において「あらゆる差別なきまちづくり」を進めるためにはどうしていくべきかを考えたいと思います。
まず、文京区において、なぜこのような「まちづくり」が必要なのかを考えなければなりません。
それは、まちづくり活動に携わる特定の区民が、区職員から「差別主義者である」とのレッテルを貼られたとされる問題が発覚したことに端を発します。
事実確認と真相の究明・解明は、文京区長宛てに「請願書」を提出していますので、区においても事実関係を調査してくれるものと期待しています。
しかし、単に区長にお願いするだけではなく、区民としても真剣に考えなければならないことは言うまでもありません。
「差別主義者である」とのレッテルを貼られたとされる区民は、なぜこのようなレッテルを貼られなければならなかったのか--。
逆に言えば、なぜ文京区の職員はこの区民を「差別主義者である」と発言したのか(*1)--。
まずはこの点の解明が急がれると言えそうです。(続く)
(*1)発言自体は公式な場で出たものはなく、非公式な会話の中で出たものとされています。
(2019年6月10日)
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